エッセー

考え方のヒント 基本2「何事も等価交換」

情報はあふれています。でも、考える力がないと、その情報をどう扱って良いのかわからなくなってしまいます。同様にさまざまな意見があります。例えばコロナのワクチンを接種すべきかしない方が良いのか。やはりどの意見を取り入れるかは自分で決めなければなりません。自分で決めるためには、考える力が必要になります。

このエッセイでは、ぼくが30年間高校の先生をしてきて、これだけは知っておいてほしいと思う、考え方のヒントをシリーズでお届けしています。どのような立場であろうとも、これだけは多くの人が、昔から納得し、賛成してきた考え方です。第一回は、「この世に正しい人はいない」でした。これは、聖書やプラトンの時代から言われ続けてきたことで、この考え方が身につくと、「自分は絶対に正しい!」と言っている人が、嘘をついているか、あるいはひどく愚かであるかが分かり、だまされることが少なくなります。

ここでご紹介する「何事も等価交換」という考え方は、古くは西洋の錬金術を研究した賢者たちの信じたものです。錬金術は化学の母体となった学問ですが、様々な物質、金属をいろんな方法で変化させても、結局増えもしないし減りもしないということに気づいたことから生まれた考え方であり、のちに「質量保存の法則」へ展開してゆきます。

これは人生にも応用できる大切な考え方だと思います。つまり、「何かを得ようとすると、必ず同じ価値のものを失う」ということです。この世界には、一方的に良いこと、良いことだらけというものはないのです。別の言い方をすれば、ベネフィットを得ようとすると、リスクが必ずついてくるのです。また別の言い方をすれば、「大切なものを得ようとするなら、苦しまなければならない」とも言えます。

「学問に王道なし」と言いますね。ぼくは英語の先生でしたが、日本人が英語を身につけようとすれば、やはり相当の努力を重ねなければなりません。効果的な勉強法はありますが、それでも決して楽ではありません。偉大な作品を生み出すアーティストは、それだけ多くの苦しみと悩みを経ています。(逆に苦しみと悩みなしに生み出されたものが偉大になることはありません。)古代ギリシャの格言に、「パテイ・マトス」という言葉があります。これは「苦難を経て人は学ぶ」と翻訳されています。

ぼくはブログを始めるにあたり、ブロガーの皆さんがYoutubeなどで発信しているブログの書き方の動画を参考にしました。多くの支持を得ている方々は、みな同じように、「100冊の本を読んで下さい。100本の記事をまず書いて下さい。」と言います。これは相当大変なことです。つまり、楽をして大きな成果を得ることはないということは、ちゃんとした人ならみんな分かっていることだとも言えるでしょう。

もう少し別の観点で考えてみましょう。例えば、電車や自動車が発明され、人間は楽に遠くへ行けるようになりました。しかし、おそらくぼくたちは縄文から江戸時代にいたる人たちと比べて脚力は衰えたことでしょう。そして、自動車は二酸化炭素を出し、公害や地球温暖化をもたらします。医療が発達して多くの人が長生きするようになりました。しかしその結果、医療費や老人にかかる福祉の費用が増え続け、若者がその負担を強いられています。短い人生に何かをやりとげようとする代わりに、長生きするために生きている、ということもあるかも知れません。

スマホは便利です。便利だし、楽しいコンテンツがたくさんあります。みな、スマホに夢中です。もうスマホのない人生なんて考えられないでしょう。しかし、楽しすぎるものを無制限に手にすることができることで失うもののなんと大きことでしょう!「スマホ脳」という本がベストセラーになりました。スマホは一種の依存症なのです。スマホでスワイプしているうちに人生が終わってしまうのです。一度だけの人生で、何の苦労もない代わりに、何事もなし遂げることがなかったとしたら、あなたは死ぬ時に満足できるでしょうか?

ぼくの人生を振り返ると、究極的には「多くのものを経験した人生」だったと思います。たくさんの本を読み、音楽を聴きました。教員時代には、アメリカに7回、イギリスには3回行き、イタリア、フランス、ポナペ島、韓国など、様々な国を訪問しました。部活動ではラグビー部、剣道部、囲碁部、ジャズバンドの顧問を経験し、囲碁部では県大会に3回優勝、ジャズバンドでは全国大会で2回優勝しました。カウンセリングを7年間、カウンセラーの先生に習い、生徒の相談に役立てました。五回の担任をして、何百人という人たちと触れ合うことができました。とても充実した現役生活だったと思います。しかし、それは同時に、「一つのことを極める人生」を失った、と考えることができるのです。ぼくの友達には、家具職人一筋30年、という人もいます。その人はたった一つのことを30年かけて極めたのです。隣の芝生は青いと言いますが、そういう〇〇一筋30年、という人生を歩んでみたかったな、と思うことがしばしばあります。けれども、その友達から見るとぼくの人生は、いろんなことがあって楽しそうだな、うらやましいな、と見えることがあるかも知れません。

人生は等価交換の原則が分かると、自分が何かを選び取った時、大切な何かを犠牲にしていることに気づけるようになります。両方手に入れることは不可能だとわかります。そうなれば、他人をうらやむことなく(大金持ちはそれだけ金儲けのために自分の人生を捧げているのです。もしかしたら、家族を犠牲にしているかも知れません。)自分の人生は自分の人生なのだと受け入れることが大切だと理解できるでしょう。そして、「〇〇を買えば、楽して英語が話せるようになります」とか「〇〇学習法は、寝ているだけで頭が良くなります」という教材を買わされずに済みます。「〇〇を信じれば悩みがなくなります」という言葉に騙されずにも済みます。(だって、悩みがなくなる代わりに、友達が一人もいなくなるかも知れませんよ 笑。)そしてむかし、「原発は絶対安全です!原発は理想的なエネルギーです」と政府が宣言していた時に、「そんなはずはない」と思うことができたはずです。原発を推進するにしても、しっかりと失うもの、リスクを知った上でそうしたはずです。

蛇足ですけれど、コロナのワクチンについてのぼくの考え方もご紹介したいと思います。ぼくは陰謀論者ではありませんが、もしそれが「すばらしい特効薬」であればあるほど、失うもの、リスクは大きいと思います。それが副反応なのか、長期的な薬害なのかは分かりません。ただ、等価交換の原則をあてはめれば、当然そうなるのです。しかしながら、人間はいつの時代もそのようにして大きな犠牲を払い、多くのものを失いながら新しいものを手に入れてきました。森を失って畑を、畑を失って工場を手に入れてきたのです。ですからワクチンを摂取するしないは、良し悪しではなく、生き方なのだとぼくは思います。ぼく自身は医療崩壊と若い人たちのために、老人が迷惑をかけてはいけないと思って2回の摂取をいたしました。けれども、3回目はしばらく様子を見ようと思っています。コロナ感染を抑えるためにとられた最善の措置(ワクチン接種や登校禁止、ステイホームなど)によって、ぼくたちの社会がどれほど多くのものを失ったのか、これから明らかになってゆくことでしょう。それはもしかしたらコロナ自体がもたらしたものよりも大きな被害かも知れません。

参考文献

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ABOUT ME
つじもと ひでお
こんにちは、つじもとひでおです。大学卒業後、ビール会社に5年間勤めたあと、30年間、高校で英語を教えていました。部活動はジャズバンドの指導もしていました。現在も、新潟ジュニアジャズオーケストラで小学校から高校までの子どもたちにジャズを教えています。