エッセー

考え方のヒント 基本6「人類史と宗教」

様々な情報や意見があふれている今日、自分で深く考えることが必要になっていると思います。深く考えることができなければ、情報や他人の意見に流されてしまいます。ここでは、自分で深く考えるために知っておきたい考え方の基本をお伝えしています。

今回のテーマは「人類史と宗教」。ものすごく大層なテーマですけれど、ここではごくごく基本をご紹介したいと思います。「宗教」は、「科学」が誕生する前、人間の価値観、考え方の根本を支配していたました。価値観、と言っても良いかもしれません。そうした価値観は、長い年月をかけて作られてきたもので、今日でもわたしたちのものの見方、考え方に影響を与えており、知っておくことは無駄ではありません。
さて、わたしたち人類の歴史は下記の三つの時代に分かれます。これらを一つずつ見てゆきたいと思います。

  • 1 狩猟採集生活
  • 2 農耕生活
  • 3 産業革命

1狩猟採集生活
人類が農耕生活に入る前は、狩猟採集生活を行っていました。この期間は、人類が誕生したと言われる400万年前から、農耕を開始したと言われる1万年前まで続きますから、399万年も続いたことになります。つまり、人間という種族はそのほとんどの時間を狩猟採集生活していたことになります。ここで身につけた人間関係の築き方、考え方、身体的特徴は現代にも色濃く残されています。例えば、この時代は食料を得ることが難しかった。そこで、人間の体は飢餓に対応するようになり、それゆえ人間の体は余分な栄養は脂肪としてたくわえるという習性があって、その結果、現代では栄養の取りすぎによる肥満が引き起こす慢性病に苦しんでいるのです。あるいは、コミュニケーションについて、言語によるコミュニケーションが1割、非言語によるコミュニケーションが9割と言われることがありますが、それは、人類400万年の歴史の中で、言語コミュニケーションを始めたのが数万年前であり、そのほとんどの時間は、スキンシップや表情などでコミュニケーションをとっていたからに他なりません。(ですから、コロナによるステイホームや、リモート、メールのやり取りでは人間はお互いに、決定的に理解しあえないのだと、京都大学学長の山極壽一先生が述べておられました。)
狩猟生活では、食料を保存できません。また、ある時には獲物が全くとれないということがあります。そこで獲物が得られれば共同体の成員全てで平等に分けることが当然のことでした。いわゆる私有財産というものはなく、蓄財という考え方もありません。全てがみんなのもので、それを平等に分ける。これが共同体が最も高い確率で生き延びる方法でした。現代のわたしたちが「独り占め」を後ろめたく思い、「わかちあう」ことに喜びを覚えるのは、この長い習慣の影響なのです。資本主義がすすみ、独占が善とされるようになりました。しかしこれは人間の本性に反しています。そこで、多くの人が豊かになっても不幸であり、他方、貧しくとも分かち合う生き方に幸福を感じるのはここに原因があると言っても良いでしょう。
さて、狩猟採集生活者の宗教について考えてみます。狩猟生活者にとって、「神」とは、獲物の動物であったといいます。人間は他の生き物の命をいただかなければ生きてゆけません。狩猟生活者はやがて、獲物の動物たちが自らの命を差し出して、自分たちを生かしてくれると考えるようになり、感謝するようになったといいます。つまり、「感謝」の気持ちが人間らしい最初の感情だったと言うのです。これが人類の初めて持った宗教的、神話的感覚です。ですから、感謝の気持ちを忘れた人が心に虚しさを覚えるのは当然なのかも知れませんね。狩猟生活者にとっての神とは、「みなの幸福のために自らの命を差し出すもの」と定義することができるでしょう。私たちが今日「自己犠牲」を尊いものと感じる心は、長い狩猟採集生活時代につちかわれたのです。興味深いことに世界最大の宗教の一つキリスト教では、神の自己犠牲が中心的な教義になっている。ここに狩猟採集生活時代の名残をみることができます。現代は、「自己実現」をもっとも価値のあるものとしていますが、一見これと矛盾するように見える「自己犠牲」も、人間にとって大変価値のあるものであることは、忘れてはならないでしょう。同時に、この「自己犠牲」を尊ぶ気持ちを利用する悪い人たち(戦争中の特攻や、やりがい搾取と言われるものがそれにあたります)がいることも忘れてはなりません。
狩猟採集生活が人間の考え方に大きな影響を与え、それが現代人にも生きている。そのことを忘れてはならないと思います。

2 農耕生活
今から1万2千年ほど昔、人間は農耕を始めました。そして、4000年前になると、この農耕生活を基盤とした「文明」が誕生します。食料を安定的に手に入れることができるようになり、また穀物はたくわえることができるため、蓄財が可能になりました。蓄財とは、将来の設計を可能にする、ということです。つまり、人類は「未来」を手に入れたとも言えるのです。私有財産が生まれ、財産を管理するために文字が生まれ、財産を巡って戦争が生まれ、戦争に勝ったものの力が大きくなり王が生まれ、国が生まれます。それまでの人間の生き方が激変したのです。
文化をカルチャー(culture)と言います。これは cultivate 耕すという単語から生まれた言葉で、もともとはラテン語の colo という単語から来ています。つまり、文化とは自然を耕し、農地に変えるという事柄が語源なのですね。狩猟採集生活者は動物と自分たちを区別しません。全て自然の中に暮らす仲間です。お互いが深く結ばれており、その絆の中でお互いがお互いを支え合っている、という感覚がありました。彼らにとって自然は文字通り母であり、その中でしか生きられないものでした。ところが農耕生活者はその自然、森を切り開き、木を倒し、土を耕さなければ生きられないのです。彼らにとって自然破壊は善なのでした。ここに、農耕生活者と先住民である狩猟生活者の根本的な価値観の違いがあり、安定した食料供給によって圧倒的に人口の多い農耕生活者による狩猟生活者の迫害と弾圧の歴史が始まるのです。さきほど、狩猟生活者には私有財産がないと申し上げました。あるところからもらうのは当たり前。それが農耕生活者にとっては、「泥棒」に見えるのです。文明における「正義」の根本は個人の生命と財産の保全であるといいます。農耕生活者にとって、狩猟生活者は悪であり、狩猟生活者にとって森の木を切る農耕生活者は悪なのです。キリスト教徒が先住民の文化を否定し虐殺した背景にはこのような問題があるのです。近年、エコロジーという考え方が生まれましたが、これは農耕を始めて4000年経ってようやく、狩猟採集生活者の考え方を再評価する運動に他なりません。(この農耕者と狩猟生活者との確執を描いたのが「アバター」であり「もののけ姫」です。)
農耕生活者にとっての神は、「穀物」でした。穀物は土の中に植えられますが、やがて成長して数十倍の種を実らせます。古代の人々にとって地面に埋められた穀物は死んで埋葬されたように見えました。ところがやがて復活して大きな実りをもたらします。ここから「死と再生」の神話、宗教が生まれました。キリスト教におけるイエスの十字架の死と復活は、この「穀物神話」の一種と言えるでしょう。「苦しみを経て人は学ぶ」(古代ギリシャの格言)「困難の克服による成長」「努力と勝利」(少年ジャンプ)「正反合」(ヘーゲルの弁証法)など、「人は苦しまなければ本当に大切なものを手に入れることはできない」という考え方は、みなこの穀物神話に由来していると言って良いでしょう。さきほどわたしたちはキリスト教に狩猟採集生活者の神話「自己犠牲の神」を見ました。このようにキリスト教には、地層のように長い年月につちかわれた人間の宗教観が残されているのは大変興味ふかいことだと言わねばなりません。

3 産業革命
200年前、イギリスで産業革命が起こりました。これは人類にとって農耕開始と並ぶ大きな歴史の転換点になりました。世界人口はこのポイントから、ほぼ垂直の直線で増えてゆきます。何が起こったのでしょうか?それは、化石燃料を使った動力機関で、機械を動かし、人力や家畜の力の数十倍、数百倍、数千倍の力を人間が操れるようになったのです。産業革命の背景には自然科学の進歩がありました。自然科学の誕生と進歩は、それまで神秘とされていたことが自然界の法則であることを明らかにしました。人間の知恵は飛躍的に伸び、その右肩上がりのムードの中で、「進歩史観」「科学万能主義」「ヒューマニズム」(人間中心主義)が生まれました。もはや「神は死んだ」のでした。共産主義のような理想郷もこの流れの中で生まれました。ヘーゲルが言ったように、人間の歴史は完成に近づきつつある。それは人間理性の勝利の時代です。人間は都市に暮らすようになり、「未来は現在より必ず良くなる」という信仰から、投資がさかんになり、銀行の「信用創造」などの手法によって貨幣、富が増え続けました。これがわたしたちの暮らしている現代社会の始まりです。
この時代、宗教はもはや力を持ちません。しかし、ユバル・ハラリ氏が「サピエンス全史」で述べているように、「実在しない、目に見えないものを信じること」「そしてそれを信じることによって多くの人が協力できるようになったこと」が人間の特徴だとすると、神を信じない現代人は、お金という本来ただの紙切れであるものの価値を信じている、と言えるかもしれません。つまり、産業革命後、「お金」が「神」になったのです。現代人は、たとえ宗教が違っても、国や人種が違っても、思想信条が対立していても、お金の勝ちだけは信じています。ハラリ氏は「お金こそ、最も広く受け入れられている、成功した宗教である」(意訳)と言っています。
しかし忘れてならないのは、このようにわたしたちが信じるようになってまだ200年ちょっとしか経っていないということです。わたしたちの心や肉体は、それよりもずっと長い時間を過ごした時代の名残を色濃くとどめているのです。いかに豊かになろうとも、相変わらずわたしたちは「善意のものの自己犠牲」によって生き、死と再生の神話に生きる意味を見出しているのだということを忘れてはなりません。

4 その後
産業革命後について簡単に触れておきましょう。現代、わたしたちはあの産業革命当時のような楽観主義や進歩史観はもはや持っていません。もはや「やがて歴史は完成し人類は神になる」と信じるものもありません。それは新たな問題がつきつけられたからです。これまで、人間が相手にしていたものは良くも悪くも自然でした。自然をどう克服するか、ということが問題でした。ところが20世紀になると、人間は自然破壊、地球温暖化、核戦争の脅威など、自分たちが作り出したものに苦しむようになります。人間の欲望と力が自分たちの生きている環境そのものを破壊しつつあるのです。現代における最大の問題は「人間中心主義」そのものにあると言ってもよいでしょう。

5 まとめ
人間は狩猟採集生活、農耕生活、産業革命以後と三つの大きな時代を経て今日に至っています。インターネットやAIが産業革命の次の人類史の大きな転換点になるだろうと言う人もあります。あるいは肉体の「不死」の研究が進み、それが実現するかも知れないと言われています。もしかしたら意識をネット上に保存し、肉体が滅んでも意識だけは生き続ける、ということが可能になるかもしれません。クローン人間の誕生も間近いことでしょう。しかしどれほど変化しようとも、人間という存在が今も狩猟生活時代や、農耕時代の考え方や肉体から大きな影響を受けている、ということは忘れてはならないと思います。古代の哲学や宗教ももちろんですが、とりわけ狩猟採集時代は最も長く、本質的にに人間の精神と肉体を決定しているるのですから、この時代のことをよく知ることが、わたしたち人間にとって何が本当に幸せなことなのかを考える手助けになるのではないでしょうか。

この文章を書くにあたり、神話学者のジョーゼフ・キャンベルの著作を参考にしました。キャンベルはわたしが人生の師と仰ぐ素晴らしい神話学者です。ここではキャンベルの入門書を一冊ご紹介します。

楽天ブックスで購入の場合は→こちら

考え方のヒント基本7へ

考え方のヒント基本5へもどる

ホーム


ABOUT ME
つじもと ひでお
こんにちは、つじもとひでおです。大学卒業後、ビール会社に5年間勤めたあと、30年間、高校で英語を教えていました。部活動はジャズバンドの指導もしていました。現在も、新潟ジュニアジャズオーケストラで小学校から高校までの子どもたちにジャズを教えています。