エッセー

考え方のヒント 基本7「人間は自分を知らない」

情報は多くても、深く考えることができなければ、その情報をどう扱って良いのか分かりません。その真偽の確かめ方も分かりません。誰もが様々な情報を得られる今日だからこそ、深く考える技術が必要です。ここでは、深く考えるために必要な、基礎的な知識をご紹介しています。今日のテーマは、「人間は自分を知らない」です。

わたしたちはさまざまな情報に接し、その刺激を受けていろんな考えを持ちます。こうした知的な活動の一番中心にあるのは、「わたしはわたしである」という意識です。フランスの哲学者デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」と言いました。様々な考えを持つわたしたちですけれども、その中で最も根源的なものが、自分を意識する自分だというのです。「わたし」は、考える主体です。ところで、「わたし」とは一体何でしょうか?わたしはわたしだ、と答えるかも知れません。けれども、「わたしとは何か」は、少し考えるとなかなか難しい問いであることがわかります。

わたしたちは普通、自分の意識(理性)が物事を決定していると信じています。何かを言ったり行ったりしたり、言わなかったり行なわなかったりする決定をしているのは自分の意識、あるいは自分の意思だと信じています。つまり、「わたし」という人格を作っているものは、この「意思」「意識」であると思っています。

ところが、この「意思」は、どれほど確かなものでしょうか?少し考えればわかることですが、勉強しなければならないとわかっていても、したくない、ということがあるでしょう。こうするのが正しいとわかっていても、そうできないことがあるでしょう。あるいは、間違ったことだと分かっていてもしてしまうことがあります。その原因の多くは、「感情」です。わたしたちは、「意思」「理性」に従って生きるよりも、「感情」に支配されて何かをしてしまうことの方が多いかも知れません。感情をコントロールするのはむずかしいものです。わたしたちはしばしば理性よりも感情に従って失敗をしてしまうことが多いのではないでしょうか?つまり、わたしたちは、「意思」「意識」「理性」と同時に、感情に影響を受ける存在でもあるのです。つまり、「わたし」は、「意識・理性」ともう一つ「感情」も含む存在だ、ということになります。

「わたし」という存在は「意識・意思」と「感情」の二つからなる。19世紀まではそのように考えられていました。ところが、20世紀になって大きな変化が起こりました。深層心理学の誕生です。フロイトが深層心理学を提唱するようになると、「わたし」には「無意識」という広大な領域が存在することが分かってきました。この領域はそれまでは全く知られず、古代人は神々や悪魔、神霊の領域と考えられていました。例えば、理由もなく怒りの発作にとらわれたり、抑鬱状態から抜け出られなくなったりした時、人々はこれを悪霊の仕業と考えました。ところがフロイトやユングは、これが「無意識」(深層心理)の仕業であると考えたのです。彼らによれば、わたしたちがどれほど感情をコントロールし、理性的に考え行動しようとしても、無意識からの影響を避けることはできない、と言います。人間の「意識」は、深い海にただよう一艘の小舟のようなものなのです。無意識の嵐に翻弄され、たちまち転覆してしまいます。深層心理学の誕生により、「わたし」という存在は広大な無意識の領域をも含むものと理解されるようになりました。ところが、自分の無意識の領域に何があるのか、何が起こっているのか知ることは容易ではありません。この文章の表題「人間は自分を知らない」とはそういうことです。

ここまでで、「わたし」という存在は、「意識・理性」と「感情」、そして不可知な「無意識」からなる、ということがご理解いただけたと思います。けれども、まだ全てではありません。わたしたちは人間である以前に、生物です。つまり、「わたし」という存在には生物としての特性も含まれているのです。例えば、わたしたちは気圧に気分を左右されます。痛みがある時には冷静に判断ができません。空腹や疲労も感情や思考に影響を与えます。フランスの哲学者アランは「幸福論」という書物で、「何か理由があって人は幸福になったり不幸になったりするのではない。幸福な人は幸福な理由を見つけ、不幸なひとは不幸な理由を見つける」と言っています。そして人が幸福である本当の理由は、単に天気が良いとか、体調が良いということが多く、不幸である理由は病気や痛みであることが多いと言っています。病気や気圧のせいで不幸になった人が、家庭環境や政治や社会、友人関係やなどの理由を見つけ出すというのです。

人類400万年の歴史の中で作られてきた生物としての特徴。例えば一人で出産できないとか、社会を営まなければ生きられないとか、そういうことがらもわたしたちの考え方に大きな影響を持っています。人が人を好きになるのも、「子孫を残す」という生物としての本能の果たす役割が大きい。ルッキズムや差別、弱いものいじめも、優れた遺伝子を残したいという生物としての欲求に起因している場合もあり、とても根が深いのです。

最近は脳科学がさかんになりました。幸福や不幸、集中力や依存は、全て脳内物質が原因であると言います。吉野家の重役が、「若い娘を薬物依存にするように」という発言をして批判されました。しかし、それは現代社会では全てのマーケッティング担当者が考えていることに他なりません。スマホのアプリもゲーム全て、脳科学者が開発段階から参加して、いかにして依存症状態にするのかを考えながら作られているといいます。一説では、脳内で分泌される快楽物質(脳内麻薬)は行動を強化させる働きがあり、大麻やコカインなどの数十倍の依存性があると言われています。一度依存状態になってしまえば、意思も、感情も、無意識ももはや何の助けにもなりません。人間は自らが作り出す脳内麻薬の依存症になって、「われを失って」しまうのです。「わたし」という存在は、こうした脳内物質による影響からも自由ではあり得ないのです。また最近は「認知バイアス」という言葉もよく聞くようになりました。これは、生物としての人類が持ちがちな偏見的ものの見方のことです。これもまた、「わたし」という意識に無言の影響力を持っています。

このように、「わたし」という存在は、「意識・理性」、「感情」、「無意識」、「生物としての特性」から成り立っていますが、普段わたしたちが意識しているのは、文字通り「意識・理性」と「感情」だけです。けれども、どれほど冷静に判断したり考えたりしているつもりでも、わたしたちの「無意識」や「バイアス」「脳内物質」がわたしたちの思考や判断に影響を与えている。つまり、わたしたちは「本当の自分を知らない」ということに他なりません。

ならばどうすれば良いのでしょうか?

昔から悩んだ時には「よく眠り、よく食べ、水分をたっぷりとって、よく歩くこと」がすすめられています。まず生物としての「わたし」の状態を整えること。ここから始めてみることが良いかも知れません。そして、何か重要な決断をする時には、抑鬱状態の時は避け、気分が晴れ晴れとしている時にすることを心がけましょう。そして、いつも同じ失敗をする。いつも自分だけが不幸な目にあう、そんなことが続く場合には、カウンセラーと相談して、無意識からのメッセージに耳を傾けることも有効でしょう。あるいは、「自分史」を書き、自分と向き合ってみることも必要かも知れません。

わたしたちは日々決断し、行動しなければなりません。自分という存在を全て理解してから行動する、というのでは、行動する前に人生が終わってしまいます。「この世に正しい人はいない」という考え方の基本でも申し上げましたが、自分という存在がどういうものか分かっていないのがわたしたちなのです。わたしたちは自分が何者で本当は何を望んでいるのかもわからず、しかも未来を予見することも、絶対に正しいこともわからないまま行動しているのです。そしてそうするより他に方法がないのです。ですから、わたしたちは必ず過ちを犯します。失敗をしない人などいないのです。そこから始めるしかないのです。ですから、謙虚に、そして自分や他者の失敗には寛容に、ゆるしあって生きてゆこうと努力することが大切なのだと思います。

今日の参考図書は、河合隼雄先生の「コンプレックス」です。無意識について分かりやすく教えてくれる好著です。

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つじもと ひでお
こんにちは、つじもとひでおです。大学卒業後、ビール会社に5年間勤めたあと、30年間、高校で英語を教えていました。部活動はジャズバンドの指導もしていました。現在も、新潟ジュニアジャズオーケストラで小学校から高校までの子どもたちにジャズを教えています。