エッセー

考え方のヒント 基本8「価値観」

情報はたくさんあります。けれども、深く考えることができなければその情報をどう扱って良いのかわかりません。ここでは、深く考えるために知っておくべき基本をお話ししたいと思います。考え方のヒント基本編、今日は最終回。「価値観」のお話です。

わたしたち人間には自由意志があり、自分が何をするかしないかを自分で決めることができる、と信じています。わたしたちは奴隷ではありませんから、誰かに命令されたり、強制的に何かをさせられたりすることを好みません。でも本当にわたしたちは「自由」なのでしょうか?

前回、わたしたちは無意識や脳の特性によって、自分の意思とは違う行動をとらされてしまうことがある、ということを見てきました。(考え方のヒント基本7「人間は自分を知らない」)時にはそうした特性を利用する人たちによって依存状態に置かれ、いやがうえにも何かをさせられることもあるともお話ししました。

しかしそれだけではないのです。結論から言えば、人間は一つの価値観という牢獄の中に閉じ込められており、その価値観に従って考えるよう強いられているのです。

価値観とはなんでしょうか。それは善悪を判断するモノサシのことです。わたしたちは日々、多くの判断や決断を下し、行動しています。ほとんどの人は自分が正しいと思ったことを行い、間違っていることをしないようにしています。しかしその判断はよく吟味されたものというより、このモノサシに従ってよく考えずに行なっている場合がほとんどなのです。例えば、男性は男性らしい服装や髪型にします。女性は髪を伸ばしたり、スカートをはいたりします。多くの人は自分はスカートをはきたくてはいている、と思っています。しかし、自分で選択する以前に「女性はスカートをはくものだ」という価値観があって、その価値観がその行動に大きな影響を持っているのです。スキンヘッドにする女性は少ないですね。当然です。そんなことしたくありません、と答える人がほとんどでしょう。しかし自分がしたくないと考える以前に、「女性はスキンヘッドをしないもの」という価値観(常識)のようなものがあるのです。

中学を卒業したら高校へ行く。高校を卒業したら就職するか、専門学校に行くか、大学に進学する。偏差値の高い学校は低い学校より「良い」学校だ。お金持ちになれば幸せになれる。中小企業より大企業に就職した方が良い。これら全て価値観です。別の言葉で言えば、習慣や常識と言っても良いかもしれません。わたしたちは考えて行動する、というより、この価値観を無批判に受け入れて行動していることが多いのです。

わたしたち人間は一人では生きられません。社会的な生き物です。(考え方のヒント基本3「人間はひとりでは生きられない」)社会の中で生まれ、その社会の価値観を言語の習得とともに吸収します。何が正しくて何が悪いのか。何が美しくてなにが醜いのか。幸福とは何か。人間はなんのために生きるのか。こうしたことはすべて自分が生まれ落ちると同時に社会から言語を通じて学びます。そして知らない間に、その社会の大多数の人たちと同じような考え方、価値観を持つようになります。そして普段、ひとはこの価値観の存在にすら気づきません。自分で考え、自分で判断していると思っています。

ものを考えるようになる第一歩は、まず、自分の価値観を疑うことがスタートだ、と言っても過言ではないでしょう。自分がどのような価値観の中で育ったのか、客観的に見ることができなければ、本当の意味で「自分で考えた」とは言えないからです。これを難しい言葉で、「価値観の相対化」といいます。自分がどんな価値観の中で育ったのか。どんな価値観を持つようになったのか無意識の状態を、「価値観が絶対化」されている状態といいます。この状態では、他の価値観を持つ人のことを理解することはできません。自分の価値観だけで、他の価値観を持つ人々を判断してしまいます。自分の持っている価値観が、多くの価値観の中の一つに過ぎない、と自覚することが「深く考える」ことの第一歩であると同時に、他者理解の第一歩でもあるのです。

世界には様々な価値観があります。イスラムの価値観、インドの価値観、中国の価値観、欧米の価値観、共産主義の価値観、そして日本の価値観。そうした様々な価値観に従って生きる人たちの行動を、日本の価値観から見て、「間違っている」とか「理解できない」と言うことは正しくありません。この地球で生きる限り、他者の価値観に寛容で、敬意を示すことができなければ、異文化の人たちと仲良くなることはできないのです。国際化が叫ばれる昨今ですが、同じ日本人同士であっても、自分の価値観を良く知り、他者の価値観を尊重する態度がなければ、ひとと関係を結ぶことができません。

価値観を相対化するにはどうしたら良いのでしょうか。世界にはたくさんの価値観があります。それら全て学ばなければならないのでしょうか?いいえ、その必要はありません。一つだけ別の価値観を学ぶだけでよいのです。そうすることで、自分の価値観を絶対化している状態から、相対化した状態に変わることができます。「ああ!自分がいままでこうでなければならないと信じてきたのは、日本だけの、あるいは自分の家庭だけの価値観だったのだ!」という気づきが大切です。そもそも人間はある種の価値観に従って善悪の判断を行なっている、ということを意識することが、ものごとを深く考えて生きる第一歩になります。

なぜ価値観を相対化する必要があるのでしょうか?それは、自己絶対化のあやまちを避けるためです。人間は自分が絶対に正しいと信じた時、もっとも残忍になり過ちを犯しやすいからです。(考え方のヒント基本1「この世に正しい人はいない)そしてもうひとつ大切な理由があります。それはわたしたちが「自由」になるためです。冒頭、人間は価値観という牢獄に囚われていると申し上げました。価値観の存在に気づかないか絶対化している時、人は自由に考えているように見えて、価値観の奴隷になっているのです。日本の若者の多くが自己肯定感が低いと言われています。それは、自分の価値は他者との比較によって決まる、という日本の価値観が原因と言われています。一方、キリスト教の価値観を持つ欧米では、「すべての人間には神から与えられた価値があり、誰もその価値を奪うことはできない」と信じられています。彼らの自己肯定感が高いのは、この価値観によるとも言われています。

そもそもわたしがこの文章を書いているのは、少しでもこれを読むみなさんが何かを考える時の役に立ちたいと思っているからです。そしてみなさんが考えることのお手伝いをすることで、最終的には少しでも豊かで幸福な人生を送っていただきたいと願うからです。その意味でも、価値観の相対化は、「じぶんはだめだ」「自分には生きる価値がない」と苦んだり、「じぶんは変わっている」「自分には居場所がない」と違和感を感じているみなさんにとって、小さな救いになると思うのです。それは一つの価値観に過ぎない。この世界を見渡せば、毎日昼寝をしてあくせくはたらかない人が良い人だ、という価値観もある。同性愛に寛容な価値観もたくさんある。みなさんが苦しいのは、狭い価値観という牢獄に囚われているからだ、とお伝えしたいのです。

マトリックスという映画があります。素晴らしい映画です。これは、人間がマトリックスという仮想現実に閉じ込められている未来の物語です。主人公のネオは、マトリックスを打ち壊し、本当の世界の存在を人々に伝えます。このお話が今でも力を持つのは、そのテーマが普遍的なものだからです。いつの時代も、人間は自分たちの作り出した価値観という牢獄の中で奴隷のような生活をしている。その牢獄を打ち破り、本当の世界を見たい、という願望は普遍的なものなのです。ちなみに、オススメはマトリックスの第1作のみとなります。2作目以降はその神話的なテーマを失い、単なるアクション映画になっています。第1作のみが、普遍的なテーマを扱った名作だと断言いたします。笑

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つじもと ひでお
こんにちは、つじもとひでおです。大学卒業後、ビール会社に5年間勤めたあと、30年間、高校で英語を教えていました。部活動はジャズバンドの指導もしていました。現在も、新潟ジュニアジャズオーケストラで小学校から高校までの子どもたちにジャズを教えています。