養老孟司「バカの壁」シリーズ(全6冊)のご紹介(その3/3)

養老孟司さんの「バカの壁」シリーズは、新潮新書から発売されており、全6冊の売り上げが660万部という大ベストセラーです。現代社会に生きるわたしたちにとって、大切なメッセージが数多く含まれていると思い、簡単にご紹介したいと思います。

養老孟司さんの「バカの壁」シリーズは次の6冊です。

  • 1 「バカの壁」 2003年
  • 2 「死の壁」2004年
  • 3 「超バカの壁」2006年
  • 4 「自分の壁」2014年
  • 5 「遺言」2017年
  • 6 「ヒトの壁」2021年

今回は最終回、「遺言」と「ヒトの壁」のご紹介です。

5 「遺言」
人間は脳(意識)と肉体(自然・感覚)から成っています。脳や意識が優位になりすぎ、肉体や自然の声を聞けなくなった状態を、養老先生はバカの状態と定義します。

動物は感覚所与によって生きる、と養老先生は言います。つまり、自然のあるがままの姿を知覚するのです。例えば、「黒」という文字を赤い字で書いてあっても、人間はそれを「黒」と認識します。けれども動物にはそれは「赤」にしか見えない。つまり、人間の意識は感覚所与を意味に変換するという機能を持っています。

都市化とは脳化と同義です。脳にとって理想的な空間が都市なのです。現代の都市は感覚からの入力をできるだけ遮断しようとします。音やにおいは脳にとっては雑音で、邪魔なものなのです。そして、世界を意味で満たそうとします。 するとやがて、人間は意味のないものの存在が許せなくなります。相模原市の障害者19人の殺害事件も、ナチスのユダヤ人ジェノサイドも同じ理屈です。

「差異と同一性」これは人類の抱える大問題なのです。違い、感覚所与を重視する自然の立場と、同一性、意識を重視する脳の立場がせめぎあっています。
資本主義社会では脳の「同じにする働き」(その2/3を参照してください)が金がすべて、という考え方になって現れます。資本主義の世界では、全てのものが金に換算され、交換可能になります。感覚所与では動物と魚と米がイコールになることはありません。しかし、お金に換算して、同じ値段にすることで交換が成り立つようになります。


人間がこの脳を持ってから20万年経っています。脳の「同じにするはたらき」が、言葉をつくり、お金をつくり、民主主義の平等を作りました。人の頭の中でだけ共有できる「概念」はすべて同じ脳のはたらきが作り出したものです。

脳の「同じにする働き」は、秩序活動と言っても良いかもしれません。脳は日中せっせと秩序を作り出す。すると、エントロピー増大の法則によれば、それと同じだけの無秩序が生まれていることになります。おそらく「眠る」という行為は、この無秩序を解消する働きなのかも知れません。

私たちは毎日掃除をします。これは秩序を作り出す行為です。しかし部屋の中の秩序を作り出すということは、それと同量の無秩序を外に放出するということです。自治体はお金をかけてそれを処理し、それが最終的には地球温暖化になります。同様に文明とは秩序であり、それが大規模になれば自然の中に無秩序が増える。これが自然破壊と呼ばれるものです。「政治」も基本的に同じにしようとする力です。ですから、他国を征服し、差異を無くし、帝国を作ろうとします。グローバリゼーションも同じ原理です。同じ原理で同じように動く世界を作ろうとするのです。わたし(つじもと)が思うに、テロや戦争はその原理が生み出す無秩序なのかもしれません。

脳が作り出す「意識」とはそういうものなのです。それは文明を作りましたが、行き過ぎると弊害も産みます。脳の特性をよく理解することによって、それが引き起こす害を少しでも防ぎたいというのが養老氏の願いなのです。

そのような「同じにする力」が過剰になる脳化社会において、アートは解毒剤の作用を持っています。アートはオリジナリティ、すなわち「差異」が全てだからです。アートは自然に近い性質を持っています。平家物語も方丈記も諸行無常を教えます。これは「自然」(感覚)的な真理です。人間の体も物質的には7年で完全に入れ替わっています。肉体は毎日違うわたしだと言っています。しかし「意識」は、昨日も十年前も同じわたしだと言うのです。

デジタルは完全に同じものを作ることができます。これこそ、脳が望む最高の姿です。スマホに流れるデジタル情報は、諸行無常ではない世界です。同じ働きにする脳が作り出した都市において一神教が生まれたのは偶然ではありません。やがてコンピュータの神が登場するでしょう。デジタルの神は、「世界は永遠に変わらない」と宣言するでしょう。昨日のデータも、一千年前のデータもそのまま残っている。こんなに確実で安心で安全な世界はありません。人はコンピューターの中に不死を見出すのかも知れません。そうです、人はやがてデータになるのです。銀行などで本人確認を求められます。本人が目の前にいるのに、本人を確認しなければならない。つまり、現実の本人には意味がない。データになった本人(免許証など)の方が重要なのです。それは感覚所与としての本人は意味をなさず、データとしての本人しか認めないということです。マイナンバーも人間を数字に変換します。これも意識の「同じにする」機能です。官僚制も脳が作り出したシステムの典型ですから、そこには意味のあることしかない。そうすると、人間そのもの、生身の人間のほとんどは雑音になってしまうのです。
若者がSNSを好むのも、生身の人間が雑音を含みすぎているからかも知れません。無意味なものが多すぎ、それに耐えられないのです。生身の人間(自然)は面倒臭い。だから結婚もしないのです。


一生懸命頑張って、合理的、経済的、進歩的な社会を作ったら、暮らしているのはコンピューターだけ。人間様お断り、という世界になっているのかも知れません。

6「ヒトの壁」
ヒトの壁とは、ヒトの限界のこと。人類は己の限界を知り、謙虚に生きなければならない。それが養老さんの言いたいことなのだと思います。

人類は意識を持ち、文明、科学を作り上げました。しかし、人間は一体何を知っているというのでしょう?科学的知見が増えれば増えるほど分からないことが増えてゆく、と言ったのはジョン・ホーガンです。部分を正確に把握すると、その分全体が膨張し、きりがないのです。

人間は世界を秩序だったものにしようと努力してきました。しかし、秩序を作れば作るほど、同量の無秩序がどこかに発生するのです。原発も、火力も、自然エネルギーも、その観点では変わりありません。エネルギーを消費して秩序を作るのが都市の本質です。秩序を作れば無秩序が増えることは避けられない。それが自然破壊なのです。

養老さんはニヒリストではありません。人間の意識がそういうものだということを知っておくことが、より良く生きるために必要だと言っているのです。

人間は全てを支配できると思っています。全てのことの因果関係は明らかになると信じています。人生は自分の選択でどうにでもなると信じています。そしてついに、自分の寿命までコントロールできると思うようになっています。しかし果たしてそうでしょうか?

養老さんは小さい頃から何度も入院し、死にかけた経験があるそうです。子供の頃、病院の隣のベッドで寝ていた少女が手術室から死んで戻ってきた、という経験もあります。つくづく、人間の生き死には不思議だと思わずにいられないのです。ラオスで飛行機に乗った時、機内に雲が発生したことがありました。中国から購入した同型機25機中、23機は墜落していたそうです。無事にルアンプラバンに到着した時、乗客から拍手が起こり、機長が操縦席から出てきて乗客と握手を交わしたと言います。乗って来た飛行機が帰路に墜落したり、百歩蛇の存在に気づかず通り過ぎたり。人間が明日をも知れず、死と隣り合わせであることは、今も昔も変わらないのです。

「なんとかする」というのが意識の働きなら、「なんとかなる」は自然の働きかも知れません。生物の世界は、なるべくしてなった解答集なのです。生物が与えられた問題を解決してきた結果、現在の生物界の姿があります。それは人間の人生でも同じではないでしょうか。なりゆきでそうなったことの方が、自分の意思でそうしたことより多いのではないでしょうか。

養老さんは猫と巨木と虫が好きです。そうしたものとつきあいながら、自然と意識の世界をいつも往復していたと感じています。養老さんは猫の役に立たないところが好きだといいます。とくに養老氏の飼い猫のまるは、何もしなかったそうです。しかし「役に立つ」ものだけが存在を認められる意味過剰の現代社会において、まるは大いなる癒しなのでした。

以上、養老さんの「バカの壁」シリーズをわたしなりに要約してご紹介しました。結局のところ、人間は何も知らないし、物事の因果関係を理解できない。自分のしたことの結果を見通すこともできないし、明日をも知れない肉体にしばられた存在なのですね。そのことを知った上で、それでも生きることを放棄するのではなく、自分の義務を誠実に果たしながら、謙虚に歩むことが大切だと感じました。世の中には、自分があたかも何でも知っているかのように、自分があたかも完全無欠な正義であるかのようにふるまう人が大勢います。そのような愚かな生き方に陥らないように、自らを戒めたいと思います。もし人間が自らの限界を意識することなくこのまま脳化社会を推し進めてゆけば、おそらく人類は滅びへ向かうことでしょう。そうならないように、今一度、人間存在の限界についてしっかり認識する必要があると感じました。

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ABOUT ME
つじもと ひでお
こんにちは、つじもとひでおです。大学卒業後、ビール会社に5年間勤めたあと、30年間、高校で英語を教えていました。部活動はジャズバンドの指導もしていました。現在も、新潟ジュニアジャズオーケストラで小学校から高校までの子どもたちにジャズを教えています。