エッセー

悩んだ時にまずして欲しいこと

ぼくは30年間、高校の先生をしていました。それで、若い人たちの悩みをたくさん見てきました。今日は、みなさんに、悩んだ時にまずした方が良いこと、というお話をしたいと思います。この文章を読んで、皆さんの悩みが少しでも軽くなれば、幸いです。この文章は、次のような内容になっています。

  1. 悩むことは悪いことではない。その上で、悩んだ時には、
  2. まず体調をととのえる。栄養のある食事をとる。運動する。よく眠る。
  3. 自然や動物と触れ合う。
  4. 人と自分を比べない。他人の評価を気にしない(ように努力する。)
  5. 人を変えようとするのではなく、まず自分のやり方を変えてみようとする。
  6. ときには仕方がない、と諦めることも大切。特に、過去は変えられない。未来は予測できない。特に人の生き死には仕方がない。
  7. なんとかなる。思い通りにはならないかも知れないけれど。
  8. 減点法ではなく、加点法でものごとを見る。感謝の気持ちを忘れないようにする。
  9. 悩んだときには誰かのために自分を役立てることを考える。
  10. 悩みを箇条書きにしてみる。そして優先順位をつけて、今すべきことに集中する。
  11. 誰かに相談する。

まず最初にお話ししたいのは、「悩むことは悪いことではない」ということです。現代社会において多くの人々が、すべての事柄にすっきりとした答えがあるはずだと思っています。でもそれは錯覚です。ほとんどのことに正解はありませんし、やってみなければわかりません。成功より失敗することの方が多いし、むしろ失敗から学び、悩んで成長するのが本当です。養老孟司先生の「バカの壁」という本があります。バカの壁というのは、頭で考えればすべてのことが分かるはずだし、問題も解決できるはずだし、「ああすればこうなる」ことが予測できる、と思い込むことを言うそうです。学校ではいつも正解を求められます。悩んだり、迷ったり、間違えたりすることは評価されません。そうすると、悩んだり間違えたりすることは、悪いことになってしまいます。そういうメタメッセージを学校が若いみなさんに与えているのです。ですから、若いうちにしっかり悩むこと、失敗することはとても大切なことだと理解して欲しいのです。安易に答えを求めず、しっかり問題と向き合うことが、結局は強い人間を育てるのです。

それをふまえた上で、悩みの対処法について、少しアドバイスをさせてください。

まず、哲学者のアランが「幸福論」で次のように述べています。「何か原因があって不幸になるのではない。不幸な人がその原因を見つけるのだ。」つまり、体調が悪いとか、気分がすぐれないということが先にあって、その原因を他人や社会に求めてしまう。そういうことがよくあるのだというのです。またアランはこんな風に言います。「赤ちゃんが泣いている。乳母は、親からの遺伝だとか、精神の病だとか、あげくの果てに悪魔のせいだとか言い出す。だが、おしめをとってみたまえ。お尻にピンが刺さっている。それをどけてやればいい。」(意訳)

簡単に言うと、悩んだりつらい時、まず自分の体調を良くすることを試みてください。ぼくの経験から言うと、原因の半分はこれで消えてしまいます。まず、水分をたっぷりとり、散歩に出かける。栄養のあるものを食べて、よく眠る。人はお腹が減った時に怒りっぽくなったり鬱々とすることはよく知られていますよね。

アメリカインディアンの知恵の言葉には、次のようなものがあります。それは、「行き詰まったら自然に帰れ。」養老孟司先生は次のようにおっしゃっています。「都市というのは、頭、脳、意識が作り出したもの。全てに意味を求め、人間を雑音のないデータとして扱う。そうすると、人間の肉体(自然)が不調をきたす。意識ではなく、五感を使って自然と対峙することで、脳化しすぎた体を解放してあげよう。」(意訳)悩んでいるときは自分の脳の作り出した世界から出られなくなっていることがあり、堂々巡りをしてしまうものです。星を見るとか、海で泳ぐ、山に登る、動物(自然)と接するなど、動物(自然)としての人間性を取り戻す機会をもうけてみてください。

三つ目は、他人の評価をできるだけ気にしないように努力することです。あるいは、自分の価値を他人に決めさせない、と言っても良いかも知れません。人と自分を比べることは、自己肯定感を最も損なう悪い習慣だとまず気づくところから始めましょう。もしかしたらこれが悩みの、いや、不幸の最大の原因かもしれません。けれども人と自分を比べないことはとても難しい。ですから、無意識に人と自分を比べている、人の評価を気にしすぎている自分に気づくところから始めるしかありません。一番良いのは、自分はもともとかけがえのない唯一無二の存在なのだと信じること。そうです。これは信仰です。でも、人の価値は他人の評価である、というのも信仰ですから、どちらを信じた方が得か、少し考えれば分かると思います。どちらにも根拠がないのですから、自分にとって生きやすい方を信じるべきではありませんか?ちなみに、キリスト教はこの考え方に立っています。そして比べるとしたら、昨日の自分と比べてみてはどうでしょう?自分の中で少しでも進歩していれば、それでよし、とするのです。このやり方で謙虚に努力をしてゆけば、職場でもきっと理解されます。もちろん、すべての人に理解してもらう必要はありません。一人でも二人でも、理解してくれる人がいればいい、と考えることも大切です。すべての人から愛され、理解されるということは絶対に不可能なのですから。

四つ目は、「人や社会を変えようとせずに、まず自分のやり方を変えてみること」です。社会運動を否定するつもりはありません。それは困難ですが、とても大切な活動です。しかし、悩みを軽くする方法で言えば、こういうことになります。理由は簡単です。他人や社会を変えることは自分を変えるよりずっと難しく、あるいは不可能に近いからです。社会が良くならないかぎり、自分の悩みはなくならない、という風に考えると、おそらく悩みを軽くするために一生かかってしまいます。悩みの原因を考え、それを回避するために自分の行動をどう変えれば良いのか考えます。例えば仕事がつまらないとします。会社を変えるのは大変です。そうではなく、その仕事の中にやりがいや、人のためになる所を見つけようと努力することが大切なのです。おそらくどんな仕事にもやりがいは見つかるはずです。もし全く無ければ、転職をお勧めします。どうも人とうまく付き合えない。すぐぶつかってしまう。例えば、その原因が自分が人の悪口を言いがちだというのであれば、それをやめてみてはどうでしょうか。心の中はどうあれ、少しでも親切にすることをこころがけてみてはいかがでしょうか。いつも人のせいにしているひとは、ずっと不幸なままです。ところがある日、「やっぱり自分のやり方を変えなければ!」と気づいたときに、多くの問題が解決する。わたしはそういうことが起こるのをたくさん見てきました。

しかたがない、と諦める。これも大切なことです。これも養老孟司先生の言葉なのですが、脳化した社会、意識重視、頭でっかちの現代社会は、すべてのことに原因があり、人間はそれを知ることができ、コントロールできると信じています。実はこれが「バカの壁」なのです。実際は人知を超えたことの方が多い。どれだけ科学が進歩しても分かったことより分からないことが増えるだけなのです。人間は今も昔も、明日をも知れない存在です。人間は「生き死に」や運命をどうすることもできません。例え事故であってもゼロにはできません。事故をゼロにしようと思うと、途方も無い負荷を社会にかけなければならなくなります。(すべての人に発信機を装着するなど。)未来のことは未知であり、(誰がコロナ禍を予想したでしょう?)過去のことは変えられません。できることは、こうすることが良いと信じて今を生きることだけです。ですから、今していることには全力で心を注ぎますけれども、過去のことは決してどうすることもできないのですから諦めるしかないと知らなければなりません。未来のこともわからないのですから、あまり「取らぬ狸の皮算用」をしないことです。「明日のことを話せば鬼が笑う」とも言います。もちろん、未来の目標に向かって今努力します。けれども、それは思い通りにならないことの方が多い。しかし、人間は自分にとって最善のことを願うとは限りません。あるひとの願いは「死ぬこと」であるかも知れません。死のうとしたけれども死にきれず、後で幸福な人生を送るかも知れません。あのとき思い通りになっていたら、今の幸福な人生はないのです。そういうことが人生にはままあります。偶然の出会い、思い通りにならないこと、そういうことの連続が人生なのです。ですから、まずそのことを認めて、しかたがないと諦める。そして今日、努力する。聖書にも「明日のことを思いわずらうな」とあります。思いわずらってもその通りにならないことの方が多い、という意味でしょう。

「なんとかなる。思い通りにはならないけれど。」という言葉がとある日本映画にありました。もちろん全力は尽くします。けれど、何が何でも何とかしよう、と思うことが時に自分を追い込むことがあります。人事を尽くして天命を待つ、という言葉は、あきらめ時を教えてくれる言葉です。今ほど申し上げたように、人間は自分にとって最善のことを願うとは限りません。むしろ思い通りにならないことの中に、新しい発見や自分を変えるチャンスがあるかも知れません。(これをセレンディピティーと言います。)「こうしたい!」と願いすぎることが自分を追い詰めることもあります。

減点法ではなく、加算方で考えることも試してみていただきたいと思います。人間関係も仕事も、家庭も、百点満点の理想の状態から原点するのではなく、ゼロ点から少しずつ加点してゆくのが良いとわたしは思います。これは、感謝のタネを探すようにする、ということだと言っても良いでしょう。自分が不幸な理由を数えることは減点法と同じです。もともとゼロであるところに、少しずつ感謝できることを見つけてゆけばよいと思います。悩んだり、苦しい時というのは自分がいかに恵まれているかに気づけない時だとも言えます。不幸な人は、自分の幸福に気づけない人と定義しても良いかも知れません。呼吸ができること、コップいっぱいの水、感謝しようと思えば感謝のタネはいくらでもあります。ありがとう、という言葉は、自分がどれほど恵まれているかを確認する言葉と言っても良いでしょう。ですから、人に何かをしてもらったら、「すみません」ではなく、「ありがとうございます!」と言うのが良いのです。

悩んだときには困った人のために自分を役立てようとすることが最善の方法であることがあります。特に、「自分なんかいらない」と悩んでいる人は、誰かから「ありがとう」と言われることが何よりの励みになります。ボランティアに参加したり、誰かに親切にすること。自分が一番弱っているときにこそ、それが必要だと知っておいてほしいと思います。わたしはビール会社に5年勤めましたが、人生に迷っていました。その時、とある知的障害を持つ方たちの施設に泊まり込みでボランティアを1週間させていただいたことがあります。「してあげる」つもりが大切なことをたくさん教えていただきました。これは教師の30年間も同じでした。困難を抱えている生徒と向き合うことで、わたし自身がどれほど勇気を与えられ、人として成長させていただいたか分かりません。

悩ましいことが多すぎてどうして良いか分からない、ということもあるでしょう。そういう時は、問題点を紙に書き出して整理してみることをおすすめします。そして、「あきらめるべきもの」「長い時間をかけて対処すべきもの」「すぐ対処するべきもの」に分類し、優先順位をつけて、一つずつ取り組むのです。これはスケジュール管理と同じです。混乱が不安を大きくします。そして、「今やること」が決まったら他の項目のことを考えないようにして、今やることに集中することも、仕事の管理と同じです。

最後に、悩んだ時は誰かに相談してみましょう。新しい観点が与えられることもあると思いますが、誰かに話すことで心の重荷が少し軽くなるものです。問題を一人で抱え込まないようにして下さい。相談したら迷惑だと思われるでしょうか?あなたの大切な人があなたに相談を持ちかけた時に、あなたはそれを迷惑と感じるでしょうか?それを考えて見て下さい。

まとめて見ます。悩んだ時、行き詰った時、苦しい時、まず、

  1. 体調をととのえる。栄養のある食事をとる。運動する。よく眠る。
  2. 自然や動物と触れ合う。
  3. 人と自分を比べない。他人の評価を気にしない(ように努力する。)
  4. 人を変えようとするのではなく、まず自分を変えてみようとする。
  5. ときには仕方がない、と諦めることも大切。特に、過去は変えられない。未来は予測できない。特に人の生き死には仕方がない。
  6. なんとかなる。思い通りにはならないかも知れないけれど。
  7. 減点法ではなく、加点法でものごとを見る。感謝の気持ちを忘れないようにする。
  8. 悩んだときには誰かのために自分を役立てることを考える。
  9. 悩みを紙に書き出して整理し、「あきらめること」「長期的に取り組むもの」「今すぐに取り組もの」の三つに分けて、今やるべきことをやる。
  10. 誰かに相談する。

これらのことを試して見てください。それでも悩みが残ることがあるでしょう。それこそ、本当の悩みです。その悩みは本物の悩みであり、あなただけのもの。あなたの人生の一部。あなたの人生を鍛えるもの。あなたの人生にかけがえのない悩みであるかも知れません。

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つじもと ひでお
こんにちは、つじもとひでおです。大学卒業後、ビール会社に5年間勤めたあと、30年間、高校で英語を教えていました。部活動はジャズバンドの指導もしていました。現在も、新潟ジュニアジャズオーケストラで小学校から高校までの子どもたちにジャズを教えています。