エッセー

考え方のヒント 基本4「人間は自分のしたことの結果を見通せない」

このイラストはギリシャ悲劇の「カッサンドラ」。トロイの王女で、予言の能力を持つのですが、「カッサンドラの予言は全て正しいが、その予言を誰も信じない」という呪いがかけられています。彼女は母国のトロイの滅亡を予言するのですが、誰も信じてくれません。トロイ滅亡後は奴隷になり、非業の死を遂げます。

考え方のヒントは、さまざまな意見や情報があふれるなかで、自分の生き方や考え方を定める一助になる考え方の基本をご紹介しています。さて、今回は、「人間は自分のしたことの結果を見通せない」です。カッサンドラは正しい予言をしますが、人々に信じてもらえません。しかしそもそも人間には予言は不可能なのです。

この大原則が分かると、世の中で語られている多くのことの誤り(誤謬)に気がつくことができます。あたかも神のように先のことを予想できると主張する人が数多くいます。そのことを無批判に信じると、大きな誤りをおかすことになってしまうでしょう。

人間は自分のしたことの結果を予想しながら行動します。つまり、予想が可能だと思っています。例えば、コップを倒せば中の水がこぼれる。だから水の入ったコップを倒すことはしません。鍋に水を入れて火にかければ、水は沸騰します。このようなことは「経験」が教えてくれます。

微分積分をご存知でしょうか。数学の一分野ですが、この発明が人間の歴史に与えた影響は大きいのです。むかし、大砲を撃った時に弾丸がどこに落ちるのか、人は経験によってしかわかりませんでした。ところが微積分を使うと、大砲の弾がどこに落ちるのか計算できるようになったのです。これは人類史で画期的な事でした。宇宙ロケットも、天体の運行も、全て計算可能になったのです。このことは人間の考えにも影響を与えました。それまで未来のことはわからないと思っていた人類が、この数学的技術を使えば、砲弾だけでなく、株価や人口など、経済・社会の分野でも科学的思考を用いれば、未来を予測できるようになったと信じるようになったのです。近代科学はこのような思想に基づいています。つまり近代科学が生まれた18世紀、人間は科学が進歩すれば神と同じ知識を得ることができるという進歩史観を持つようにもなりました。

しかし本当にそうでしょうか?実際、人間が知りうる未来は限定的なものだと言わなければなりません。例えば、囲碁や将棋を例にとりましょう。人は自分の打った手がどのような結果を生むか予測しながら対局しますが、結果通りにはなりません。良い会社に入って高い給料を得られれば幸せになれると予想します。けれども、その予想が覆されることはしばしばです。むかし、東日本の山はブナの木におおわれていました。しかしブナの木は材木にならないので、ほとんど杉に植え替えられてしまいました。無価値な山が、金を生む山に生まれ変わり、人間に大きな益をもたらすと予想したからです。ところがその結果はどうなったでしょう。ブナは非常に保水能力の高い木でした。つまり、ブナの山は巨大なスポンジのように雨を蓄え、その結果川の水はずっと枯れずにすんでいたのです。一方杉の保水能力は低く、雨が降ると一挙に流れて川をあふれさせ、雨がふらなければ川が枯れてしまうようになったのです。そればかりか、川によって運ばれた山の養分が海に流れ込まなくなり、河口のプランクトンが減って魚が取れなくなりました。そして外国から安い材木が輸入されるようになると、せっかく植えた杉が利用されずに放置され、山が荒れる、という現象が起こっています。ブナの木を杉に植えかえた時、人間はこのような結果を全く見通すことができなかったのです。1950年代後半、中国ではスズメによる稲の被害が深刻でした。そこで、国を挙げてスズメを駆除する運動を繰り広げました。その結果スズメは減りましたが、スズメが食べていた虫が増え、稲はスズメの害以上の被害を受けるようになったといいます。

バタフライ効果という言葉があります。「中国で蝶が羽ばたくと、アメリカで竜巻が起こる」という意味ですが、自然のような複雑な体系では、一つの行為が思わぬ結果を生む、という意味で用いられます。人間社会も同じです。コップを倒せば水がこぼれる、のような一手先ぐらいのことは見通せるかもしれません。しかし、自然や人間社会のように複雑な力学が絡み合っているような世界では、人間は先を見通すことができないのです。コロナが流行し、自粛やステイホームやリモートワークによって感染拡大を防げることは分かったかも知れませんが、その結果、抑うつ状態や、孤独など、これほど大きく人間性が損なわれることは誰も予想できませんでした。

人間は自分のしたことの結果を見通せない。これはおそらく真実と思われます。では、わたしたちはどう考え、どう生きたら良いのでしょう?

結論を言えば、人間とはそのようなものであると知りつつ、行動するしかないと思います。一番問題なのは、結果を予測できると過信することです。人間は全知全能だと思い上がることです。そのような時、人間は大きな間違いを犯します。わたしたちは未来を予測できない限界のある存在です。それでも、できる限りの予想を立てて行動を起こすしかないのです。そして必ず想定外のことが起こる。それを覚悟しておくことが大切です。もし全てを見通した上で実行しようとすれば、予想だけで一生が終わってしまいます。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。一生懸命考えて行動する。しかし、それは間違えることもある。そう思って生きてゆくしかありません。

このことをコロナワクチンについてあてはめるとどうなるでしょうか?ワクチンは無害であるという人もあれば、有害だという人もあります。とても迷うところですね。でもこの原則からいえば、ワクチンの長期的な副作用(反応)は予想し得ない、ということになります。それでも人は判断しなければなりません。毎日人と接する仕事の人は接種しなければならないでしょうし、長期的な影響の方が心配な方は、感染した時のリスクと両方を天秤にかけて、自分で判断するしかないようです。

あの時ああしていれば、こんなことにはならなかったのに。と一生悔やんで生きる人もあります。しかし、人間は自分のしたことの結果を見通すことはできないのです。それは人間は将来を予測できるという誤った価値観によって苦しめられているのです。どうか、自分を責めすぎないようにして欲しいと心から願います。

「人間は自分のしたことの結果を見通せない」という言葉は、わたしは最近、ユバル・ハラリ氏の「サピエンス全史」という本で出会いました。この本は、わたしたちに希望を与えてくれることはありませんが、洞察を与えてくれる素晴らしい本だと思います。一読をおすすめいたします。

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つじもと ひでお
こんにちは、つじもとひでおです。大学卒業後、ビール会社に5年間勤めたあと、30年間、高校で英語を教えていました。部活動はジャズバンドの指導もしていました。現在も、新潟ジュニアジャズオーケストラで小学校から高校までの子どもたちにジャズを教えています。